身体表現のじかん

ダンスは生と共に。

新型コロナ下におけるダンス界やダンサー

8月から休職が始まり、7ヶ月も経ちました。早いです。鬱状態だと1日何もできない日が多いです。

しかし考えることは四六時中止まらず。答えの出ない命題を、永遠と考えてしまう癖があります。思考の話題の一つとして、「現代におけるダンスの有用性とは?」があります。

 

現代の振付家やダンサーたちは、どうやって集客するかについて、日々頭を抱えていると思います。正直、オンラインに切り替えたにせよ、舞台でのダンス公演の客足は減っている一方でしょう。ワークショップやクリエイション公演も、受講したり観にきてくれたりと、人が集まる前提で成り立っているプロジェクトです。他にも、ダンス未経験の人でもダンスの舞台に立てる”コミュニティー・ダンス”も、核として集団の持つ熱やトランス状態のような感覚があります。クラブなども同じことが言えますね。それらは現在タブーとなっています。

しかしこういった時代において、バレエ、つまりは職人技系のダンスは強いとも思いました。高い技術を磨き、コンクールなどで凌ぎを削り、勝ち残った者がプロへ昇格する、美しさ一本の世界です。ダンスの意味合いが広くなってしまいますので、今回の文章では、コンテンポラリー・ダンス現代アートにおけるダンスを対象に考えたいと思います。

街のダンス教室でも、人前で発表することが濃厚接触だとして控えられている今、年に一回の発表会という唯一の目標が失われています。現在ダンス教室の集客も伸び悩んでいるのではないでしょうか。

教育現場でもダンスはもとより、美術科や音楽科といった芸術科目は優先順位が更に下がり、授業時間が減っていると思います。新型コロナで休校が相次いだため、受験に必要な主要科目へ時間が注がれていると考えられます。「アートなんて、やりたくてもしてる時間無いよぅ!」と一部保護者からも言われそう汗

つまり、ダンスを発表することも、指導することも需要が減っている。場によっては「儲からない」実態に繋っています。世のダンサーや公演、ダンス教室を見ても、そのような現状を肌で感じます。

 

 

しかし見方を変えれば、こういったダンス界への打撃は、進化のきっかけになっているのではないでしょうか。オンラインでの公演やレッスンスタイルは、今や実験的なものではなく、当然のスタイルとして確立しつつあります。同条件下で生きるダンサーたち、各々の組織が同時多発的に実験を行えば、後に定説が見出され、多くの人がそれを認識することで、徐々に定着へと繋がります。

こう考えると、今は新しい土台を作っている最中なのかもしれません。新しい時代に適したダンスの形。それを多くの人々が模索することで、ダンスの文化を次の時代へと紡いでいく。土台が無いことに不安にもなりますが、土台を作っている時代に生きている楽しみも味わえます。ジョン・ケージカニングハムなら、現代においてどうやって表現していたかな…等と考えてみては…?

 

 

一方で、個人の問題に立ち返ってみますと、このような状況下では、改めて「踊る意味」について内省させられます。その中で出てきた、自分への問が以下。

 1.「現代、それでも君は踊り続けるのか?」

 2.「今まで、何に突き動かされて踊ってきたのだ?」

私の回答は、「1→YES/2→衝動」という頭の悪い回答w

「踊らざるを得ない、踊り出してしまう身体を持っている」という開き直りに立ち返ってしまう。あなたはどうだろう? 人によっては、お金にならないなら、踊りを辞めるという選択に辿り着く場合もあるでしょう。選択は人それぞれ。それぞれが正解だと思います◎

1・2を回答した私は、更に次の問が自分の中に出てきました。

 3.「では、自分のしたい踊りって何?」

うーん。。

私の場合、それを回答するヒントは、自身の過去のダンス経験にあると思いました。過去に踊って得てきた感触の中で、「これは譲れない!」という、ダンスの価値観みたいなもの。それによって、自ずと唯一無二のダンサーへとさせるもの。その純度を上げていくことが私にとって修行であり、成長。まとめると、回答「3→自分のしたい踊りを突き詰めていくこと」となるでしょうか。またも堂々巡りな回答となってしまいました。

 

さて、現代におけるダンスの動向は、組織や団体に関わらず、チェックの価値ありと思います。

日本の大きな組織で言えば、吉田都が芸術監督を務める新国立劇場(コンテに限ると言っておきながらクラシックの例を出します←)、コンドルズ 近藤良平が次期芸術監督となることが決まった、彩の国さいたま芸術劇場…etc。ダンスカンパニーで言えば、私も一度ご縁のあったBaobabやコンドルズ …etc

私も、「一畳プロジェクト」という研究にダンサーとして協力しています。(別記事にて)

 

踊りは”止められない、止まらない”ものであると思います。私も含め、そんな人種が、どうやって踊りを発散していくのか。絶滅を食い止めるのか。乞うご期待。