身体表現のじかん

ダンスは生と共に。

地域ごとのダンス

新潟県には、「新潟市民芸術文化会館を拠点に活動する、日本初の公共劇場専属舞踊団」Noismという公的な舞踊集団が存在する。

Noism Web Site

カンパニーの始動は2004年。私が12歳の頃。

それが今年の2024年で、でかれこれ20周年。

人間であれば成人。独り立ちをして、世に出る年。

創立当初こそ、新潟市や地域の人々との軋轢、存続の危機に何度も見舞われた。

しかし今や全国・世界にその存在を知られ、地域からの理解も深まってきた。

そして、そのカンパニーに所属していたメンバーが脱退後、フリーのダンサー・指導者として地域で活躍していく。

新潟市は、そんなカンパニー経験者による指導の場・教室が多い。

 

2023年、私は新潟市新津に拠点を構える”あるてぃすと”の公募公演に参加した。

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主たる構成・振付は、元Noismの吉崎裕哉さん・土田貴好さん。

ミストレスを、元Noismの池ヶ谷奏さん。

主役を、元Noismの門山楓さん・簡麟懿さん。

(殊更に「元Noism」と書かれるのは、ご本人たちにとって些か不快かもしれない。

 むしろ、「元Noism」色を薄めたい方も居るかもしれない。

 便宜上統一させてもらったが他意は無い。)

 

私が未成年時代にNoism公演を観に行ったときに、現役Noismメンバーとして踊っていた方も居るのだ。

そんな方々と対等に話したり一緒に踊ったり出来たのは、私にとって大きな宝となった。

技術的にも人格的にも、皆すばらしかった。

 

私は上越市育ちで、新潟市のNoismというものは新潟県内であっても遠くの存在であった。

それがこのように時が経ってNoismの恩恵を得られたのは、Noismがここまで続けてこられたから、そして地方でもダンスのパッションを絶やさずに燃やす続けているダンサーが居るからだ。

またカンパニーの永続には、メソッドの存在も大きいだろう。

Noismには、Noismメソッドという独自の動き方・考え方が存在する。

その叡智が染み込んだダンサーたちであるが故、脱退後もそのメソッドは血となっているだろう。

 

この公演にける私以外の公募者は、みな新潟市新発田市在住者で、上越市という辺境の民は私だけだった。

だからこそ、余所の者だから分かる、新潟市に漂うNoismの空気感・ダンス感と言うのを感じた。

新潟市の上品な市民性も相まって、清潔感がありつつ、どこかシニカル。

対比として、私の進学先であった青森県なんかはどうだ。

熱くて気取らず、どこかアングラ。

豪雪地の上越市は、同じく豪雪地の青森県とは波長が合ったのだろう。

大学時代に身体表現者としてのアイデンティティーを確立させた私は、今でも青森県の血が濃ゆく。

戻って新潟市は、存外雪は少ないのだ。

 

東京都も、もちろん雪は少ない。

東京都こそ、やはり最先端の芸術が栄え、否応なくコンテンポラリーダンスの中心地になっている。

だから、俗に言う「コンテンポラリーダンス」は、新潟市に漂うダンス感の方が主流の表立ったムーブなのだと感ずる。

そこに、”しばれる”感覚は薄く。

ダンス用語的に言えば、新潟市にはあまり「舞踏」文化が感じられないのだ。

根付きづらいのかもしれない。需要も無いのかもしれない。

確かに、エンターテイメントの観点で言えば、舞踏は多くの人々にとって分かりやすい表現では無いだろう。

いや待て。

Noismだって、初期の頃は「分かりづらい」「気難しい」「もっと一般市民に分かりやすい芸術表現にしてくれ」云々と批判されていたでは無いか。

それが20年も続けてこられたのは、やはりNoism側の妥協と軟化があるだろう。

もし草創期Noismが、青森県こけら落としを行なったなら、受け入れられ方は新潟市当時とは違っていたのではないか。

Ifルートを話し始めたら、切りが無いのだがね…

 

優劣ではなく、シンプルに地域差の噺なのだ。

しかし正直な雑感。

どんなバックグラウンドを持っていようと、各立場で各表現で燃えていて◎