身体表現のじかん

ダンスは生と共に。

「振り付けられない!」ならば1

踊りを作りたくても、できそうにない。。。

そんなみなさんに、私から聞きたいことがあります。

道徳の教材にもなりそうな問です。こんな授業があったら、みんなの答えが聞きたくて仕方ないな。

 

 

本題。

問.「良い振り付け」って、なんでしょう?

(考えだしたら夜眠れなくなるやつ)

 

…………

 

・高い技術を取り入れたもの

・観客を感動させたもの

・ウキウキするもの

 

…………

 

あなたはどのように考える?

今は授業ではないし、ここは、あなたと私の一対一です。その考えを議論するつもりは無いのですよ。

 

実はですね、実際踊りを作るときには、

ぜひその考えを、ポーンと忘れていただきたくて(オイ)

なんたって、忘れたくても頭の隅っこにいるのですから!居なくなるわけでは無いので安心してください。

思い出さなければならないタイミングで、ちゃんと出てきます。

しかし、

「良い振り付け」への考えは、踊りを作っていく過程で変化していきます。

別の言い方をすると、純化していきます。

ですから、そいつがひょっこり顔を出したときには、別の様相となって現れてくることもあります!

お前、ほんとはそんなやつだったのかーーー!!!って笑

 

何を言いたいかというと、

「良い振り付け」をしようしようと考えて作り始めると、身体がピタッと動かなくなってしまうことがあるんですよ。

そうすると、

自分はなんて無知無能な人間なんだーーー!!!となってしまう訳ですね。

それで、新しいものを得ようとするエネルギーに変わればいいのですが、

自分を責めて、ますます動きづらい身体にしてしまい、負のループに陥ることも多々あります。すごく分かりますよ。

でも動けなくなったら元も子もないです!笑

動けないからと言って、あなたがなんにも持っていない訳ではないのですよ。

「良い振り付け」にこだわり過ぎてる、と嘆く必要も無いです。

じゃあアプローチを変えてみるか、と切り替えていきましょ。

踊り出す道を開拓していきましょうや。

 

ちなみに、わたしは、「よくわからないけど、すごかったぁぁ!」と観客が理屈抜きに鳥肌立っちゃうものが、「良い振り付け」だなと思います。

これは、観客として見る側のときも、踊りを作る側のときも、です。

しかしいざ踊りを作ろうとするとき、追っても追っても、そいつは離れていくような感覚になります。

観客有りきであり、本番その時まで分からないですから。

 

さて、

・というかそもそも、良い悪いではないよね?

 

授業ならば、こういった意見が出て来ることもありそうですな。

確かに、振り付けに対して、良し悪しは付けるものではありません。野暮な問だと思うでしょう。芸術にジャッジする権限を持っているのは、大会の審査員ぐらいですね。

(つづく)