過去、私には、西洋音楽との不協和が起こりました。
しかしそれは、踊る身体への目覚めとなっていったのです。
それからというもの、型にとらわれない踊りの表現を追求していきました。
いわゆる、コンテンポラリーダンスと分類されるものです。
自分の踊りを発表する会場は、野外、美術展示空間、歴史的建造物、、、
音も、録音されたCDだけではなく、自分で作ったり、アーティストに演奏してもらったり、、、
オリジナリティーを見出してく過程のように思われるかもしれません。
しかし当人は、ひたすら、自分の感じているものを正しく発信したい、という願いのなかで模索していただけなのでした。
自分以外の身体言語を知っていこうと、積極的にアウェイ(都会の洗練されたダンスの世界)に飛び込んで行くこともやっていきました。
コンタクトインプロビゼーションや舞踏のワークショップを受けたり、著名な振付家の作品にダンサーとして出演したりしたのです。
このようにして得た知識は、子どもたちへの指導へと繋がっていきました。
6歳からモダンバレエを習っていた教室で、講師として教えていく立場になったのです。
これらの経験を経て、私の関心は、専ら
表現とは何か、ということに尽きるようになっていきました。
大学四年間だけでは、この気持ちが収まらず、大学院へ進学しました。
子どもたちへ教えることを専門的に学びながら、表現について、あらゆる表現者たちと関わり、深めていきました。
目の前で踊りを教えている子どもたちが、どのような発達段階にあり、なにを考えているのか、知りたかった。
自ずと、幼児教育から高等学校までの教員免許を得たのです。
持て余していた、楽典など音楽の知識も、ここで活かすことが出来ました。
大きな収穫はなにか。
大学院での学びの中で、ひとつ、分かったことがあったのです。
わたしは表現の場に立たされたならば、自分の感じたことを、恥ずかしげもなく晒すことができる、ということが判明しました。
そう。
子ども大人に限らず、大多数の人が、表現の場に立たされたのにも関わらず、自分の表現をパフォーマンスすることが不得手でした。
例えば、モダンバレエ教室で言えば、自由な創作の時間であるのに、動きが見いだせない。
美術の授業で言えば、アイディアスケッチでさえ、何も思い浮かばない。
ということです。
わたしにとって、とても楽にできることが、みんなにとっては辛いことでした。
なにが苦しいの?
こんなに自由な世界なのに、どうして解放しないの?
彼女彼らにも、表現の源はあるはずです。わたしはその存在を信じながら、教える立場として現場に立ち、様々に試行錯誤をしました。
いま現在は、教える立場に立っていません。
しかし、わたしの身近には、表現の指導について悩んでいる仲間がたくさんいます。
自由な表現を見たい指導者
自由に苦しむ生徒さん
この二者が真逆に対立したときの、地獄の時間をいくつも見てきました。
また、この構造は一人の人間のなかでも起こります。
自由な表現をしたいエネルギー
何も生まれないモヤモヤ
この二項対立を解消すべく、私は、経験と知識を共有していこうと考えました。
ひとりでも多くの表現者が生まれますように。