自由というものの考え方について、絵で例えてみますね。
さあ、皆さん。
ここにまっさらなノートがあります。
ここに自由に絵を描いてください。
↓
㊧すぐ何か描ける人
㊨なにも手が動かない人
この右の人のように、自由をいきなり与えられても、慣れていなければ、最初は喜びより、戸惑いの方が大きいでしょう。
今回は、この右の人に注目します。
(左の人は、どんどん描き進めていくものとします)
㊨さん、では横にひとつ、線を書き足してみましょう。
↓
この線が入った空間、何に見えますか?
それを描いてみましょうか。
↓
ふむ。海ですね!
時間はいつ頃?そこに人が居たら?
↓
なんとなく、右の人も絵が出来てきました。
このように、ひとつ線を与えただけで、想像力は膨らんでいきます。
何も生まれないからと言って、指導者が生徒さんに「なんで生まれないんだ?」と責めるのは乱暴だと思いますし、脅しに近い恐怖すら覚えます。
そしたら余計にその生徒さんは正しさに囚われて、硬直してしまうでしょう。
それは自分自身に課すときも同じことです。
自由に表現してほしい(表現したい)
=自由を与える
と安易に考えるのは危険なのです。
自由に表現するには何が必要かと言うと、
制限です。
実は左の人も、あえて言ったりはしませんでしたが、テーマ(制限)がありました。
「性別不明な子」です。(笑)
おそらく、勝手に自由に表現できる人って、制限のようなものを自ずと見出すことが出来てるのだと思います。
この制限のおかげで、表現がより具体性を持つことになります。
これは、具象物を表現することだけを指すのではありません。抽象物を表現する場合でも当てはまるからです。
例えば、先程の例でいうと、横線をただの実線と捉えて、幾何学模様へと繋げていくこともできますよね。
絵で例えましたが、踊りに寄せていきますね。
もしあなたがすぐに動けなかったら、制限を認知してみてもいいかもしれません。
このとき、踊りの場合、考えなければならないことがあります。
それは、、、
つぎにつづくよ✰(これ完全に男やん?)