身体表現のじかん

ダンスは生と共に。

自由な表現のメカニズム1

自由というものの考え方について、絵で例えてみますね。

さあ、皆さん。

ここにまっさらなノートがあります。f:id:danceliving:20200425235853j:image

ここに自由に絵を描いてください。

      ↓
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 ㊧すぐ何か描ける人

 ㊨なにも手が動かない人

 

この右の人のように、自由をいきなり与えられても、慣れていなければ、最初は喜びより、戸惑いの方が大きいでしょう。

今回は、この右の人に注目します。

(左の人は、どんどん描き進めていくものとします)

 

㊨さん、では横にひとつ、線を書き足してみましょう。

      ↓
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この線が入った空間、何に見えますか?

それを描いてみましょうか。

      ↓

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ふむ。海ですね!

時間はいつ頃?そこに人が居たら?

      ↓

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なんとなく、右の人も絵が出来てきました。

 

このように、ひとつ線を与えただけで、想像力は膨らんでいきます。

何も生まれないからと言って、指導者が生徒さんに「なんで生まれないんだ?」と責めるのは乱暴だと思いますし、脅しに近い恐怖すら覚えます。

そしたら余計にその生徒さんは正しさに囚われて、硬直してしまうでしょう。

それは自分自身に課すときも同じことです。

 

自由に表現してほしい(表現したい)

=自由を与える

と安易に考えるのは危険なのです。

 

自由に表現するには何が必要かと言うと、

制限です。

実は左の人も、あえて言ったりはしませんでしたが、テーマ(制限)がありました。

「性別不明な子」です。(笑)

おそらく、勝手に自由に表現できる人って、制限のようなものを自ずと見出すことが出来てるのだと思います。

この制限のおかげで、表現がより具体性を持つことになります。

これは、具象物を表現することだけを指すのではありません。抽象物を表現する場合でも当てはまるからです。

例えば、先程の例でいうと、横線をただの実線と捉えて、幾何学模様へと繋げていくこともできますよね。

絵で例えましたが、踊りに寄せていきますね。

 

もしあなたがすぐに動けなかったら、制限を認知してみてもいいかもしれません。

このとき、踊りの場合、考えなければならないことがあります。

それは、、、

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つぎにつづくよ✰(これ完全に男やん?)